越境クリエイターシリーズ#2-1
オリジナルから100億超の原作超大作まで、なんでもこなすバランサー:メンタル・フィジカル強者のアニメ監督 立川譲
アニメ監督
立川 譲
Yuzuru Tachikawa
1981年生まれ。数々の大ヒット作を送り出したアニメスタジオ、マッドハウス出身。マッドハウス在籍時より早くから演出・監督に従事。2015年には原作・脚本・監督を務めた『デス・パレード』が放送。2018年には劇場版『名探偵コナン ゼロの執行人』の監督に抜擢され、当時の歴代最高興行収入となる大ヒットを記録。報知映画祭、日本アカデミー賞にて優秀作品賞を受賞。
そして2023年劇場版『名探偵コナン 黒鉄の魚影(サブマリン)』で再び監督を務め、シリーズ史上初めて興行収入130億円を突破する快挙を達成。同年には青春音楽漫画『BLUE GIANT』の監督も務めている。またTVアニメ監督作として「モブサイコ100」シリーズ(16年~)、「デカダンス」(20年)など。
「越境クリエイターシリーズ」では、漫画原作者、映像脚本家、映画監督、アニメ監督などを掘り下げ、「メディアを越境するクリエイターの原点」をたどっていく。
第二回は、劇場版『名探偵コナン黒鉄の魚影(サブマリン)』や『BLUE GIANT』など大ヒット映画を手掛けた立川譲監督。40代という若さでありながら、すでに原作から数百万人のファンを集める大規模作品から、自ら原作・脚本・監督すべて手掛けたオリジナル作品『デス・ビリヤード』まで広く手掛け、マッドハウスからトムスまで様々な職場を渡り歩いてきた新進気鋭のアニメ監督でもある。”越境”という意味では、漫画作品をアニメという映像に移しこむ「アニメ化」そのものが越境であり、数百人が関わる大チームの劇場版を熱狂的なファンも納得する形で創り上げ、興収100億円に到達させることそのものが「偉業」ともいえる。立川監督がそうした”越境力”をどう手に入れていったのか取材した。
インタビュアー 中山淳雄(エンタメ社会学者)
#2-1(キャリア編)
生まれ持ってのバランサー、実写映画かアニメで悩んだ学生時代
―どんな学生時代を過ごされていたんですか?昔からアニメとは深くかかわられてきたのでしょうか?
アニメとの関わりは小・中学校のころに『エヴァンゲリオン』を見たときに衝撃を受けたくらいですね。中学・高校と水泳や柔道の部活動が忙しくて、そんなにアニメは見ているほうではなかったです。
日大芸術学部に進学したときは映画監督になりたいと思っていました。ただ、先に就職した先輩が、毎日終電まで働いて翌日朝5時集合、みたいな生活を繰り返して身体を壊している様子をみて、ちょっと自分が想像しているよりも厳しい世界だなと思いはじめたんです。それでアニメの業界のほうがよいかもと意向を変えて大学3年のゼミ選考で「アニメコース」を選択。それが最初の岐路で、2004年にマッドハウスに入社しました。
―マッドハウスではどんなお仕事をされていたんですか?演出(絵コンテをもとに芝居についてアニメーターに指示を出し、「絵をつけていく」仕事)はいつごろから手掛けられたのでしょうか?
新卒はプロデューサー志望と監督志望に分かれるのですが、僕は後者で入社しました。最初は設定制作といって、作品の基盤となる美術の設定などを作る仕事に携わっていました。
演出は設定制作しながらですが、結構早いうちに「ここだけやってみるか?」と言われて1-2年目からやらせていただきました。同期の人間はそうではなかったので、比較的早めにチャンスをもらえていたと思います。
―立川さんの出世が早かったのは、最初から秀でていた部分を見せていたからでしょうか?
いや、そういうのは特にないです。アニメについての知見も、同期に比べると圧倒的に足りなかったくらいですから。入社するときに見てもらった卒業制作の評価が良かった、というのは多少あったかもしれないですが、何か特別なものがあったというよりは「アニメに対して過剰に期待がなかった」ことが逆に良かった、と自分では振り返っています。やっぱりアニメが大好きで入社してくる人が多いんですが、憧れが強すぎると夢と現実のギャップに苦しんだりしますよね。ショックで辞めてしまったり。その点、どんなジャンルのアニメでも食わず嫌いせず、どの現場でも勉強になるなあとやっていたので早めに仕事まかせやすかったのかもしれません。
―様々な作品をやってきてアニメのジャンルで得意・不得意ってありませんか?
無いんですよ。なんでもやりましたね。血みどろの時代劇もののアニメから始まり、その後ハートフルなねこのアニメをやったり、幅広くアニメづくりを勉強させてもらいました。
―マッドハウスにはどのくらいいらっしゃったんですか?若手時代にやっていて心に残った作品などもあれば教えてください。
7年くらい勤めてからフリーになりました。『Bleach』(絵コンテ・演出、studioぴえろ、2010)、『Steins; Gate』(演出、WHITEFOX、2011)、『キルラキル』(絵コンテ・演出、TRIGGER、2013)などは特に思い入れがあります。
フリーは作品が重なる事が多く、合計で大変な話数になるので家にほとんど帰れないんですよ。オフィスに段ボール敷いて寝泊りをして、土日なく本当に一気通貫で3か月働いていましたね。「これ、嫌だった実写映画の世界と、変わらないんじゃないか・・・」と気づき始めました(笑)。まあ異常だったのは、その時だけでしたが。
―フリーになるメリットとは?給与が増えたりするんですか?
いや、逆に生活は厳しくなりましたね笑。フリーだからって別に条件がよくなるわけじゃないんですよ。フリーになる人は、どんな現場でもクオリティが出せるという武者修行的な意味合いの人が多いですかね。逆に場所や一緒にやるチームを変えたくないという人はそのまま残って昇格していくパターンもあります。
―『ソードアート・オンライン』(絵コンテ、A-1 Pictures、2012)や『進撃の巨人』(絵コンテ・演出・ED2絵コンテ/演出、WITSTUDIO、2013)などこの時代のヒット作に多く関わられていますよね。どうすればそういう機会に恵まれるんですか?
ほとんどは口コミです。マッドハウス時代の先輩から直接声をかけていただくことが多いんです。現場ごとにチームも作業もちょっとずつ違っているなかで、それなりに認められる動きができないと次に呼ばれなくなりますので、そういう積み重ねが大事な仕事ですね。「現場でやらかす」みたいなことはあんまりないタイプで、どの作品どの場所でも一定のクオリティが出せるタイプの人間だったと思います。
―フリーの場合、アニメのディレクターとしての出世ってどう実現していくのでしょうか。もっと演出をやりたい、ヒット作の監督になりたい、という出世欲みたいなものはあるのでしょうか?
基本コンテは今でも描いてますし、演出しながら同じことはやり続けているんです。助監督もやったり、各話演出をするようになったりで徐々に重要な仕事は任されますが、やっていること自体は比較的同じ仕事じゃないかと思います。
むしろ「この作品は100点で出来た」というものは一つもないんですよ。どの作品も後悔しているところがあって、次の作品でその後悔の分だけ底上げして気を付けるようになる。積み重ねていって最終的に凄い作品をつくりあげること、というのが欲といえば欲かもしれません。
予算の大きな作品は成長機会。ただし予算の大きさがクオリティに転嫁するわけではない
―完全にオリジナルで自分で最初から最後までやった作品となるとどちらですか?
はじめて原作から脚本、そして監督まで全部担当したのが『デス・ビリヤード』(2013)です。この作品は、文化庁の若手アニメーター育成プロジェクト「アニメミライ2013」で制作費を助成いただきました。金額は4000万円。当時の相場4倍の予算で、かなり自由に表現ができました。
アニメーターにも4倍支払えて、すごく良いプロジェクトでした。若いうちに大きめの予算プロジェクトを経験するって大事なんです。1カット4000円だと給与で月数万円にしかならないんですが、1カット2万円となれば、計算してそれなりの金額ももらえるなということで安心して働くことができます。そこでコツを掴めば、どういうロジックで単価があがるかもわかる。アニメーターが若いうちにそういう経験ができる「貴重なプロジェクト」がアニメミライでしたし、そういう機会がもっと増えると業界は育つと思います。
―立川さんは『デス・ビリヤード』で、原作・脚本も担当されていますね。オリジナル作品は書き溜めているんですか?
こういうお話を作りたいなというのはメモ程度ですが残しています。アニメミライの時はそれまで半端に書き溜めたものを集めて、締切3日前に2日くらいかけて一気に書き上げました。
『デス・ビリヤード』は自分にとってターニングポイントになった作品だと思います。短編アニメでしたが国内で劇場公開にもなりましたし、DVDも出て、アメリカのイベントで公開もされました。その後、テレビシリーズ化したいという意向を会社にも伝えて、そこから1.5年くらいでGoサインが出て無事『デス・パレード』(2015)になりました。
―日本のアニメは、1話数で予算1000~2000万みたいな作品が多いですよね。欧米ですとこれが数億円でそもそも10倍違う。そうなると外資で桁の違うサイズのアニメを追求したくなるものでしょうか?
予算は大事ですが、一概に予算が大きいからといってそれがクオリティにはねかえるわけではないんですよ。例えば『Bleach』で1話好きにやっていいよと言われたことがあったんです。いつもは予算どおりにキッチリやるタイプの自分が、その時はもうやれるだけやってこだわりまくった挙句、通常5000枚/話のところを25000枚/話もセルを使ったんですよ。それはそれで怒られたんですけど笑。
もちろんその1話は話題にはなったんですが、ユーザーからみると「目が慣れちゃう」んですよね。いわゆる「ぬるぬる動く」というやつなんですが、その激しい“芝居”がずっと続いているとその速度にユーザーの目がなれて、特別に感じなくなってくるんです。
―以前NHKの「100カメ」というドキュメンタリーで『進撃の巨人』の林監督が何度もリテイクだして修正していて、リテイク率7割というやりとりを見ました。監督の仕事ってこだわればこだわるほど際限のない作業だな、と思ったのですが、チームはどうやってまとめていくんですか?
リテイク7割というのは結構普通です。林さんは自分自身がアニメーターなので、適切に修正部分を伝えているので自分的には違和感なく見れました。むしろ困るのは具体的指示がないリテイクで、それで現場が止まってしまう、という時ですね。劇場版を5年もかけて作るような作品となると話は別です。「2年かけてPV作ったけど、出来上がったものをみて違うとおもって捨てる」とか、壮絶なひっくりかえしをすることもあります。
自分はバランス型で、70点のものが出てきたらなんとか75点にしましょう、といってしまう性格なんです。目の前で苦労して仕上げているところみちゃうと100点にいくまで通さない、みたいなことはできないですね。
―これはゲームでもデザインでも同じだと思うんですが、どこまで自分の100点を追求するかというこだわりと、現場の能力や疲弊度とのバランスですよね。
自分は典型的なバランサー型だと思います。マッドハウスの先輩からは、「もっと我儘になっていいと思う。器用貧乏にならないように注意してほしい」と言われましたね。クオリティの最後のこだわりの部分で、折れないようにしてほしい、と。それが自分の演出として監督としてのタイプを一番表している気がします。
―先ほどトムスのプロデューサーからお伺いしましたが、立川監督はまさにプロジェクトの全体やチームマネジメントをみながら、必ず予算内でベストなパフォーマンスを出す。とそのバランス型のところが非常に優れている、ということでしたので、まさにそういう「口コミ」が仕事を続かせる秘訣なんだと感じました。
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