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Interview2024#樹林伸
#1-1

越境クリエイターシリーズ#1-1
7つの異名を使い分け、漫画・ドラマ・アニメ・映画で100作以上を手掛ける千変万化のストーリーテラー樹林伸

原作者

樹林 伸

Shin Kibayashi

1987年講談社に入社。「週刊少年マガジン」編集者時代に『MMR マガジンミステリー調査班』『GTO』などを手掛ける。漫画原作者として『金田一少年の事件簿』『BLOODY MONDAY』『サイコメトラーEIJI』などヒットを連発。原案を担当した『HERO』(木村拓哉主演)など、ドラマ化された作品も多く、近年では『ドクターホワイト』(浜辺美波主演)、『金田一少年の事件簿 』(道枝駿佑主演)、『ギフテッド』(増田貴久主演)などがある。『神の雫』は、日仏米の共同制作でドラマ化され、Apple TVにおいて世界第1位を記録。また、日仏両国でフランスワインの振興に貢献したことが高く評価されボジョレワイン騎士団の「騎士号」の称号、フランス政府芸術文化勲章シュヴァリエを受章。その他、歌舞伎の原作、市川海老蔵『石川五右衛門』や、ゲーム『ファイアーエムブレム if』シナリオを手掛けるなどその活動は多岐にわたっている。映画『BLUE FIGHT~蒼き若者のブレイキングダウン~』2025年劇場公開予定。

 本連載では、漫画原作者、映像脚本家、映画監督、アニメ監督などを掘り下げ、「メディアを越境するクリエイターの原点」をたどっていく。記念すべき第一回は、樹林伸氏にインタビューする。樹林氏は、講談社「週刊少年マガジン」編集者時代に『シュート!』『金田一少年の事件簿』『GTO』など数々のヒット作を手掛け「週刊少年ジャンプ」を超える発行部数で黄金時代を築き、また、自ら執筆したノベライズ『金田一』は累計500万部販売を突破し、1995-97年のベストセラー小説ランキングにも乗るようなヒットメーカーであった。『神の雫』は、日仏米の共同制作でドラマ化され、Apple TVにおいて世界第1位を記録している。

 樹林氏の携わったマンガ作品は累計2.5億冊を超えており、どれにも一度も触れたことのない日本人はいないのではないだろうか。

 今回は樹林氏がどうしてマンガ編集者→原作者→作家と変貌していったのか。マンガからドラマやアニメ、歌舞伎などジャンルを越境するときに創作としてどんな点を意識しているのかを取材した。

インタビュアー 中山淳雄(エンタメ社会学者)

Contents

#1-1(映画と金田一)


映画化できないと断った『路上の伝説』、“映像映えするストーリー”を見つける瞬間

―映画『BLUE FIGHT~蒼き若者のブレイキングダウン~』は三池崇史さんが監督、樹林さんが脚本を手掛けられています。こちらはどのように始まったのでしょうか?

 知人から朝倉さんの自伝『路上の伝説』を素材に映画ができないかという相談が持ち込まれたんです。でも最初は断りました。「あの自伝のままだと、映画にはできないよ」と。やはり映画は映画の文法があり、映像化には、登場人物のバラエティさやストーリーが必要です。だから、自伝の映像化はけっこう難しい。

  ただ、色々見ていくうちに朝倉未来さんが少年院でスピーチした動画があったんですよ。

「いま、夢がある方、手を挙げてください」と質問するんだけれど誰の手も上がらない。でもそんな少年たちに自分の成功譚を話すわけでもなく、自分の少年院時代の過ちやそこでの発見を等身大に語ることで夢の大切さを懇々と説いていった。そして最後にもう一度「夢はありますか?」と聞いたら全員の手が上がるんです。素晴らしかった。

 じゃあ、そのスピーチを聞いていた少年たちの中に主人公がいる設定で作ってみたらこれは映画になるんじゃないか、と思えたんですよ。そこからほぼ一からストーリーを書き直したものが『BLUE FIGHT~蒼き若者たちのブレイキングダウン~』なんです。

―そもそも映画化・映像化に向いているかどうかはどう判断されているんですか?

 小説からドラマって難しいんですよ。小説って内省描写と情景描写が多くて、どんどん知識だけ書き連ねても成り立ってしまう。以前僕は『ドクター・ホワイト』(2015年、KADOKAWA)という医療モノの小説をシリーズで書いていました。ドラマ化の話があったんですが、途中でそれが飛んじゃったんです。そうなると、なんとなく“筆が滑って”、自分が書きたいガン治療の知識をどんどん解説にいれるようになってしまった。小説としては不自然ではないのだけれど、自分としては書きながら、ああ、もうここから映像化は難しいだろうな、と思ってました。

 僕の作品でドラマ化するものが多いのは、映像化したときの描写を意図的に入れているからかもしれません。お話の上では必然性がないのに「主人公Aは怒りに任せて車を飛ばし、高速に乗って軽井沢まで一気に疾走した」みたいなシーン転換を入れておく。そうすると、ああこれは映像にしたらちょうどいいところで派手な場面が作れそうだな、となるわけです。

―なるほど、とても面白いですね。マンガや小説という1つのフォーマットで書き上げながら、どこかで映像化の視点を挟んでおくのですね。

 僕は小説を書きながら、どこかで「カメラ」を置いておくんですよね。空撮というか鳥観図のような形で主人公たちのやりとりや会話を上のほうからみていて、それを寄りで聴いているのか、全員の顔がみえるような客観視点で見ているのか。そうした「カメラをいろいろな角度に置きながら、登場人物やストーリー展開を考える」ということをマンガ原作者として独立する以前の編集者時代からずっとやってきたので、これだけ作品がドラマ化する機会に恵まれたのだと思います。

正直これだけの作品数がドラマ化されている作家を私は知りません。これは樹林さんがテレビ局に顔が広いからなのか、作品がドラマに向いているからなのか、どちらですか?

 どっちもあると思いますね。テレビ局側も僕を知っているから思いついて声をかけてくる、というのもありますし、逆に全く関係性もないところから原作を探していって僕の作品に突き当たったというケースも多いです。

―同じようなことができている原作ってどんなものがあるんですか?

 『リング』や『らせん』なんかはそうでしたよね。登場人物ごとの視点もシーンもポンポン変わる。自伝のように一人称だけで終わってしまう物語は場面転換や映像的な抑揚がつけにくくて、そのままドラマ化すると「面白くない」と言われてしまうんです。その点、鈴木光司さんも映像を念頭に置きながら小説を書くタイプの人だと思います。

『金田一少年の事件簿』で悲願のジャンプ越え、5作連載しながらベストセラー作家としてノベルが500万部の売上

―マンガ編集者だった樹林さんがこんなにたくさんのストーリーを作れるのはなぜなのでしょうか?

 作家を目指していたというのも大きいかもしれませんね。1987年の講談社入社1年目でそれまで書き溜めていたものが受賞したこともありました。当時は副業禁止でしたので、そのまま小説家になることはなく編集者としての道を選びました。「物語を一緒に作ったり企画を出す仕事」というのは出版社の中でもそれほど多いわけではないので、最初から週刊マガジン編集部に配属され、ずっとマンガ家と二人三脚で物語・キャラクターづくりをし続けてきた経験は大きいですね。

―樹林さんの代表作といえば『金田一少年の事件簿』です。『金田一』はなぜ売れたのでしょうか?

 「動機」と「語り」ですね。犯人がなぜ犯行に至ったのか、その人の人生をたどってストーリーにしていきました。この謎解きが終わった“後の物語”を大事にしたことが大きかったと思います。

 もともと小説では定番ジャンルだったミステリーを、正面からマンガで取り組んだ作品というのは『金田一』以前、存在しなかったんです。犯人もトリックも週刊連載で追っていくのは難しいですし、マンガは絵ですべて表現しなければなりませんから。小説ならごまかしのきくトリックも、絵ですべて示してしまっていると破綻があったら絶対にばれてしまいます。私は編集者であると同時に原作者だったので、それを毎週毎週考えなければならない。だからマンガでミステリーを書くのは本当に大変なんですよ。

―角川映画の横溝正史ブームのときにも「映画ポスターを見れば、扱いで犯人がバレる」「わからない犯人を推理していくプロセスは地味で“絵”にならない」といったことが言われてました。最初に犯人をバラして、後から筋を追っていく松本清張型ばかりだったと聞きます。

 ミステリーはマンガ雑誌の連載に向いていると僕は思いました(作り続けるのは想像を絶するほど大変でしたが笑)。犯人が分からない状態のほうが、いろいろ推測ができ口コミで広がるだろう、と。当時はSNSなんてありませんから、週刊連載を読みながらみんなで、あーだこーだと友達同士の口コミが発生しているかどうかが大きかった。

 ただそうなるとコミックが売れない。「すでに週刊連載で犯人もトリックも全部わかっているのになんであとからコミックで買うんだ」と当時よく言われていました。でもミステリーは難しいですから。あとからもう一度読みかえしてみないとトリックがわからない。だから、コミックが売れるはずだと思ったんです。実際にそれが当たりましたね。

 週刊少年マガジンではたぶん最初に初版100万部突破したのが『疾風伝説特攻の拓』(1991-97連載)ですが、初版200万部の記録を打ち立てたのは『金田一』が初めてだったと思います。

―1992年連載当初から大人気マンガとなった『金田一』、当時の樹林さんは「天樹征丸」のペンネームで4年間(1995~98年)にわたって日本のベストセラートップ20にランクイン、累計500万部を売った作家でもありました。

―樹林さんはその時複数の作品を原作者・編集者として関わっていらっしゃいますよね。

一番多いときで連載作品は5本でしたね。『シュート!』『GTO』『金田一少年』『サイコメトラーEiji』に、そこに一瞬だけ『GetBackers-奪還屋-』まで入ってました。

―どうしてそれだけ忙しい合間に、わざわざ自分で小説を書くことになったのですか

 ノベルについてはめちゃくちゃ忙しいのに、編集長に頼まれるんですよ。いいからお前がやれ、って。でも「印税もらえないならやらないですよ」って笑。せっかくだから原作者の立場をフルに利用して、ノベルズはすべて新ストーリーを書き下ろしでやっていました。ノベルズの1冊目は、マンガのFile1でやった「オペラ座館殺人事件」の続編ストーリーの書下ろしです。

―斬新でしたよね。そのままの形でノベライズというのはよくありましたが、中身も新しくなっている。マンガ連載だけでも忙しいのに、これはどうやって監修したり、原作のマンガと整合性をとるんですか?さとうふみや先生とも調整するんですか?

 原作も編集も僕ですからね笑。誰にも見せることなく、僕が執筆して僕自身で編集して校了です。自己完結できるプロセスだったから、あれだけ売れるノベライズができたとも言えます。編集長もどんなに忙しくても、僕にノベルを書かせるのが一番売れるという見込みがあったのかもしれませんね。

―確かに、シリーズで500万部に至った作品は他にないかもしれません。マンガが1億部売れた『鬼滅の刃』もノベルの販売部数は(2冊だけでしたが)176万部です。

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